Night and Day

あゝ残骸

考えるな、感じろ!

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このブログでも度々取り上げておりますが、ディスカバリーチャンネルでやっているモーガン・フリーマンが語る宇宙という番組が面白いです。NHKでもやってるのかな?

ディスカバリーチャンネルオフィから番組説明を拝借しますと

  • 宇宙や人間の存在にまつわる謎は、最新科学によって解き明かされつつある。長年人間を悩ませている疑問を、宇宙について造詣が深い俳優モーガン・フリーマンと科学者たちがひも解いていく。死後の世界は存在するのか。宇宙の果ては存在するか。時間とは何か。第六感や並行宇宙、万物の法則とはどのようなものか。多角的な理論を用いながら、私たちが抱える根源的な問題を考える。

といったような感じなのですが、この番組の影響もあってか近年では

嫌な事があった→ママンの卵子だった頃に戻りたい→そもそも人類なんて誕生しなきゃ良かったのに→そもそも太陽系が誕生しなきゃ(以下略)→そもそも銀河系が誕(以下)→そもそも宇宙(ry)→ビッグバン死ね

と怒りの矛先が壮大な相手になる訳ですが、特定の人を憎んだり起こった出来事にイライラするよりも精神衛生上よろしいかと思うの。

たった一点の爆発から発生し無限に広がり続ける謎多き宇宙というモノに子供の頃からロマンみたいなものを感じているひとりではありますが、その前にあったとされる「無」というモノにもすごく惹かれるんですよね。

生があれば死があり、得るものがあれば失うものがあり、プラスがあればマイナスがあり、勝ちがあれば負けがありと有限の世界で生きている訳ですが、無というものにはそれがないですよね。パラドックス的ではあるけど、無というのは1番幸せな状態なんじゃないかなと思ったりするし、元々ひとつだったモノを何故わざわざ分離するようなことをしたのかと考えていると、やはりたどり着く先はビッグバン死ねなんですが(笑)

となると、肉体を持ちながら無というモノに近づくにはどうしたらいいのか?と修行僧のようなコトを考えたくなる訳ですが、自分の思考や感情といった「個」で感じるものを取っ払って残った「意識」というモノが無というかニュートラルに近いのかなーと。以前、クレイジージャーニーに出演されていたフリーダイバーの篠宮龍三さんが 無になりたいと思っても無になりたいと考えているうちは無になれない。メンタルでメンタルは抑えられない とおっしゃっていたけど、結局、思考で思考の範囲を超える事は不可能なんですよね。無になりたい!って言ってるのは思考だもんねw

あとはね、何かに夢中になってる時。「今」に集中している時かな。私の場合はやっぱりライブが浮かぶんだけど。時が経つのも忘れて熱中なんて良く言うけど、雑念が無くその瞬間に集中して心から楽しい!って思えるようなライブは時間が過ぎるのもあっという間だし、頭で考えるよりも先に身体が動いて手が挙がるというか。思考が介入するスキマが無いくらい「今」に没頭している時はある意味で無というモノに近いのかなぁと。

もう何年も前だけどザキさん(月亭方正)がマックのポテトを食べている時に無になるって言ってたな(笑)

難しいように見えるこの世界はホントは極シンプルに出来ていて、ただの意識というのがこの世界の本質なのかもしれないと思ったりもする訳ですが、天馬さんの書く文章を読んでいるとこの本質という考えの引き出しを持っているのではないかと感じる事が時々あります。私は神学に詳しくないので分かりませんが、天馬さんが学生時代に学んだキリスト教の教えでそういったモノがあるのかもしれないですが。