Night and Day

あゝ残骸

諸行無常

先週、父方の祖母が102歳(数えで103歳)という大往生を迎え先週末はお葬式でした。

100歳まで元気に畑に出て野菜を育てていてコタツでダラダラと寝てばかりいる私よりも元気だったくらいなので、ばーちゃんは不死身なのではないかと思っていたのですが、去年肺炎を患って入院をしてから寝たきりの状態になりそれからは施設に入っていました。

コロナ禍で面会が出来なかったり、私が結婚を機に実家を出たこともあってばーちゃんと最後に会ったのは去年の春に病院へお見舞いに行ったのが最後になりました。今月に入ってすぐ、食事が取れなくなってきているから覚悟はしておいて下さいと先生から言われたと母から聞き、今月半ばに面会が再開されるタイミングで今週末の連休を利用して面会に行く予定でいた矢先の出来事で。

両親が共働きだったこともあり子供の頃に面倒をみてくれていたのがばーちゃんだったので私は本当におばあちゃんっ子でした。だからかな、自分のばーちゃん達だけではなくて世の中のおばあちゃん達がみんな愛おしく感じるというか。

だけど、大好きなばーちゃんの存在を疎ましく感じたりなかなか優しく接することが出来ない時期もあったりもしました。だから、最後にもう1度改めて話をしたかったしその時のことを謝りたい気持ちも沢山あります。

弟やおじさん(ばーちゃんの息子さん)家族は東京住みなのでPCR検査を受けてからこっちに来るって言ってたんだけど、東京で再び感染者が増えている状況もあり見送ることに。東京組はFaceTimeやLINEのビデオ通話を利用してリモートで最後のお別れになりました。地元の本当に近い親族のみのこぢんまりとしたお葬式だったけど、悲しみはもちろんあるんだけど、それ以上にばーちゃんへの感謝やお疲れ様の気持ちと思い出話で笑いも溢れるような和やかで良いお葬式でした。

私自身も103年近く激動の時代を生きてきたばーちゃんに感謝とお疲れ様の気持ちでいっぱいです。ばーちゃん本当にありがとう!

ばーちゃんが亡くなった日に顔を見に行った時、亡くなってから24時間はまだ耳が聞こえていると言われているって話になって。ばーちゃんに届いていたらいいなと思いながらたくさん話しかけました。

もしかしたら耳は聞こえているけど声を出したり身体を動かしたりすることが出来ないだけなのかも?当たり前だけど、それを故人の実体験として聞いたという人はこの世には居ないわけで。本当かどうかは自分が死んだ時の楽しみにしとく!